35号 2013年(平成25年)1月20日
忘れ去られる地名 その一
昨年末の文化の会会議で、議題の審議も終わり雑談になった時、ある委員から「町名改正で○丁目○○番地となった。味気ない呼称で、その場所も覚えにくい。土地の親しみも薄れた」とのぼやきが上がった。多くの人々に使われてきた地名が今、消えつつある。その残念さが口をついたのでしょう。
地名とは、その土地の歴史を物語るものです。地名の研究をしたこともない私が書くのは、おこがましいことですが、例えば加勢川の「かせ」とは昔、舟をつなぎとめる杭を指していました。それで舟運で栄えていた全国各地の川にこの地名が多く残っています。
また、ここ川尻は古くは「河尻」と表記されていましたが、加藤清正の緑川改修によって、暴れ川が穏やかな川になったので、川尻と表記されるようになったと考えられます。そのように地名はその土地の歴史を話しかけてくれる妙辞(すぐれた言葉)です。
ところで明冶四十四(一九一一)年三月、第八代川尻町長の栗崎達也氏が退任の時の引継ぎ書の中に次のことが記されていました。
雑 事
一、川尻町ノ初メハ本町、見世町、新町ナリ
一、外城ノ城ト御茶城ノ間ノ堀ヲ内堀ト云フ
一、外城村ト云フ所ニ町出来タルヲ外城町ナリ
一、拾ヶ所ハ役所鍛冶方、材木方、米銭方、薪方色々ノ役所拾ヶ所アル所ナリ
一、下町ハ本町ノ下手ニ町出来下町ト名付、此所ハ河尻家時代ハ知行取屋敷ナリ
一、本町ヲ中町ト云フハ下町出来テ後ナリ
一、小路町ハ河尻家ノ家中コフジ丁故小路町ト名付ケリ
一、岡町ハ若宮社ニ近ツキ鶴ヶ岡ヲトリテ岡町ト名付ケリ
一、正中島ビハ島ト云フ所琵琶島ニ正中年中、町出来年号ヲ名付ケリ
一、正中島町弁天社河尻三郎心願ニヨリ湊繁昌ノ為、鎌倉江ノ島弁天ノ分霊を勧請セラルト云フ
一、河尻城ヨリ亥子(イ・ネ)ノ隅ニ当ルヲ以テ乾角(イネズミ)ト名付ケリ
*明冶二十二(一八八九)年四月一日 市町村制実施
初代川尻町長 小山豊熊(明冶二十二年五月~明冶二十五年五月)
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十六代町長 岡 次七(昭和七年十月~昭和十五年十一月)
*昭和十五(一九四○)年十二月一日 熊本市と合併
西 輝喜