25号 2011年(平成23年)8月20日

 

川尻公会堂創立八十周年によせて

その二    吉村太八、彦太郎

   明治十(一八七七)年二月、西南の役が起こり、四月川尻にも戦火が迫りました。川尻にあった三軒の酒屋は逸早く避難しましたが、吉村太八家では女、子供だけを避難させて主と店員・蔵子の殆どが店に残って営業を続けました。

 四月十二日未明、杉合村廻江の緑川岸から官軍の砲撃五十発を受けましたが、幸い町には火災が起きませんでした。しかし、一発が太八家の酒蔵に命中、屋根を貫通して土間に大穴が空きました。恐怖に戦き、その日は全員避難しましたが、翌日には再び店に帰り営業を続けます。

 西南の役後、熊本市内の酒屋は殆ど兵火に焼き払われており、川尻でただ一軒営業を続けた太八の店は面白いほど繁盛しました。しかし、その頃の熊本県の清酒醸造技術は劣等で、旨い酒は筑後、灘、伏見から移入されていました。

 太八は何とかして良い酒の醸造をしたいと念じていた折、明治二十(一八八七)年、つてを得て兵庫県出身の丹波杜氏を招き、灘式の清酒醸造を試みました。県下では初めてのことで、まさに太八の大英断でした。

 同時に十九歳になった彦太郎には店務一般、十七歳の藤吉には販売、十五歳の和七には醸造を分担させて仕事の習熟と効率化を図りました。当時の酒造家では、醸造に関しては杜氏まかせで、醸造に関する知識を殆ど持ちませんでした。太八は将来の酒造家は、それではやって行けないことを予見していたのでした。

 明治二十三(一八九十)年、杜氏の失敗で酒の大部分が腐敗、酢に変成しなければならない始末となりました。これを機に丹波杜氏との契約を切り、翌年から従来の杜氏、古賀寿八と和七の二人に醸造を担当させました。

 江戸時代細川藩は赤酒を「御国酒」とし、それ以外の酒の製造を禁止、他藩でつくられる清酒は『旅酒』と呼ばれ細川藩への流入は規制されていました。このため、明治に入り清酒の製造が許可されても熊本県内では品質の良い清酒はつくれませんでした。この頃、熊本税務監督局に「酒の神様」と言われる野白金一氏が着任します。これを機に太八、彦太郎親子は県下の蔵元に呼びかけ、上方に劣らない醸造技術の習得を目指した研究所の設立を呼びかけました。

 明治四十二(一九○九)年、蔵元たちの強い要請で研究所の技術顧問に就任した野白は、県内の清酒の品質向上に心血を注ぎ、昭和初期には、全国の品評会で一位から三位までを熊本県産酒が独占するほどの銘酒醸造をなしし遂げました。

 ところで、彦太郎は明治三十八(一八九五)年に川尻町下町の廻船問屋塩飽屋からアサを妻として迎えます。

                                                          西 輝喜

 

2009年(平成21年)4月20日
~船の魅力その二~
幕府の大船への怖れは的中しました。関ヶ原の戦いから二百五十三年後の嘉永六年(一八五三)六月、ペリー提督に率いられたアメリカ東洋艦隊の黒い大船四隻が突如江戸湾に進入してきたのです。途方もない大きい黒船の到来に国中は騒然となり、幕府はその弱さを世間に露呈し、幕府崩壊への第一歩となりました。 この頃、志ある人々は「尊王攘夷だ、佐幕開港だ、公武合体だ」と国の行く末を論じ、さらにその主張を行動に移すなど国内は騒然たる雰囲気に包まれて行きました。 さて、土佐高知藩の郷士坂本竜馬は十八歳の嘉永六年(一八五三)、江戸に出て千葉道場で剣術の修行に励み、仲間と時節について研鑽を積んだ後、土佐に帰国して土佐勤王党に参加しました。翌年脱藩して再び江戸に出た坂本竜馬は赤坂の勝海州邸を訪ねます。血気に逸る竜馬は、成り行きでは勝を斬る覚悟でした。
その年、文久二年(一八六二)に幕府の軍艦奉行となっていた勝安房守は、そんな竜馬を見ると、ゆったりした表情に時折微笑を浮かべながら二年前、遣米使節の随行艦として、オランダから購入した咸臨丸という蒸気軍艦に乗り組み、太平洋を横断した時の「感動、そして知った世界の広さと文化」を語り、日本人が今急いでなすべきことは航海術の習得であり、これが海軍力の強化となり、日本の国益につながると「国防と国益を兼ねた開港論」を諄諄と説いた。〝目から鱗が落ちる〟とはこのことだろう。「攘夷」を叫ぶ己の視野の狭さが恥ずかしく、竜馬はその場で勝安房守に入門を乞いました。

金太のつぶやき

私たちの暮らしの中で生命を吹き込まれ育まれてきた熊本の伝統工芸品。その伝統工芸品は、時代を超えて芸術性を増し、国境を越えて人々の心に優しさと安らぎを与えています。また、日本の四季が、「創造」と「感性」の豊かさを育み熊本の工芸品に彩りを持たせてきました。海路交通が盛んな時代、海の玄関口であった肥後(熊本)の川尻は、必然的に工芸が生まれる土地柄にあり、その伝統を今日まで継承している町です。川尻のまちづくりの観光スポット「くまもと工芸会館」では伝統工芸普及のために工芸逸品の展示販売と各種工芸教室を開催しています。皆様方の新鮮で創造豊かな感性を「くまもと工芸会館」でぜひ創作してください。