51号 2017年(平成29年)6月20日 「かわしり遍路」

雨だれが石を穿(うが)お寺 

川尻町には、四百年という長い歴史を持つお寺が多く「川尻に十五寺あり」といわれるほどである。川尻の夏の風物詩として知られる精霊流しは、長い歴史を生き抜いてきた人々の信仰心に裏付けされていると言っても過言ではない。

旧市道沿いの河尻神宮を後に、川尻五叉路を経て、JR川尻駅前の交差点を過ぎたところに、光明山(こうみょうざん)遍照寺(へんしょうじ)(川尻一丁目三―十一)という古刹(こさつ)があります。寛永二(1625)年、了意坊祐讃(りょういぼうゆうさん)が開いたとされる浄土真宗本願寺派のお寺で、十五世夏野憲浩住職が、往生(おうじょう)礼讃(らいさん)(1)と自信(じしん)教(きょう)人(にん)信(しん)(2)を寺の理念としており、ご本尊は阿弥陀如来です。遍照寺は昭和の初め、失火により焼けて現在はこじんまりした本堂になっていますが、境内の一角には藩政時代から川尻町で薬種問屋や草津餅店を営んだ近江商人、草津屋の歴代の墓があることで知られています。

遍照寺のバス道路に面した山門をくぐると、雨だれが時を刻み続けた石段が、来訪者を迎えます。山門に降った雨は、雨樋を通って地表には至らず、山門の瓦から雨滴となって基礎石を叩きます。降った雨が、昼も夜も何年も何百年もの間、礎石を叩き続けたのでしょう。硬い石には窪みができ、その窪みは次第に大きく、深くなり、山門の屋根瓦の真下に雨脚を示すかのように深さ3センチメートルほどの穴が一列に並んでいます。

四百年もの間にどんな出来事があっただろうか。季節の移ろいは春夏秋冬の年輪を刻んで変わらないとしても、人の世には激しい盛衰があり、物言わぬ雨滴の跡には無常さを感じます。単なる石に刻んだ雨跡かも知れませんが、私には、この雨滴の穴が「人生訓として忍耐の大切さ」を教えていると思わざるを得ません。

私は、教壇に立っていた頃、保護者の方々から「子供がものを大切にしない、忍耐が足りない、規則を守らない」などの相談、指摘を数多く受けました。スポーツを通して大成した有名選手たちは、異口同音に「最後を恥じず」を口にします。たとえ遅くても、休まず前に進めば、遅れたり失敗したりするが、いつか目標に達するという「忍耐の大切さ」を実践した証しだろうと考えます。

中国明朝末期の随筆集、采根譚(さいこんたん)(3)には「縄で擦り続けると木も切れるし、水滴も長い間には石に穴をあける、道を学ぶ者はたゆまず努め求めなければならない・・・」とあります。機会があれば、子供たちに「雨だれが穿った石」を見てもらい、努力の大切さを感じて貰いたいと思います。

*(1)往生礼讃 中国唐時代の浄土教の高僧、善導(ぜんどう)大師(たいし)(613~681)が作ったもので、自らがなした罪過を悔いて許しを請う「懺悔(ざんげ)」と日没、初夜、中夜、後夜、晨朝、日中の六時礼拝を記した「勧一切衆生願生西方極楽世界阿弥陀仏国六時礼讃」があり、親鸞聖人を偲ぶ報恩講でよく勤められる。

*(2)自信教人信 親鸞聖人が布教伝道の指針とした善導大師の「自ら信じ人を教えて信じせしむる」という教え。

*(3)采根譚 中国明時代の書で人との交わり、自然との楽しみを説いた処世訓の思想書。日本では加賀藩の儒教学者林蓀坡(そんぱ)(1781~1836)によって文化5(1822)年に発刊され、禅僧の間で広く愛読された。松下幸之助、田中角栄、川上哲治、野村克也ら経営者や偉人

が愛読書の一冊に挙げた本として有名。

荒金 錬一

 

金太のつぶやき

私たちの暮らしの中で生命を吹き込まれ育まれてきた熊本の伝統工芸品。その伝統工芸品は、時代を超えて芸術性を増し、国境を越えて人々の心に優しさと安らぎを与えています。また、日本の四季が、「創造」と「感性」の豊かさを育み熊本の工芸品に彩りを持たせてきました。海路交通が盛んな時代、海の玄関口であった肥後(熊本)の川尻は、必然的に工芸が生まれる土地柄にあり、その伝統を今日まで継承している町です。川尻のまちづくりの観光スポット「くまもと工芸会館」では伝統工芸普及のために工芸逸品の展示販売と各種工芸教室を開催しています。皆様方の新鮮で創造豊かな感性を「くまもと工芸会館」でぜひ創作してください。