えびすの つぶやき
2010年(平成22年)9月20日
御蔵前船着場
その一
平成十六年度から国土交通省緑川下流出張所は、加勢川護岸工事の一環として、損傷の激しい御蔵前船着場の解体修復工事に着手しました。この時「もしかして築造年の手がかりが出れば」と、私なりに期待を膨らましました。
歴史に記録ほど大切なものはありません。全長百五十メートル、十四段からなる埠頭がいつ構築されたのか分からない。江戸時代中頃の絵図にやっと現在の様子が描かれている程度で、多くの疑問を抱きながらもその絵図で納得するより他はありませんでした。
工事は私の予想以上に周到な計画で、船着場前三十メートルほどの所を土砂で堰止め、船着場側の水を完全に無くしてから始まりました。
まずトレンチ調査です。トレンチとは、工事場所全体を掘り返さずに、ある部分を帯状(幅、約三メートル)に掘り下げて、その付近の状況全体を推察する部分調査です。
この調査で下から十三段目までの石と十四段目(最上段)の石の質が全く異なっていました。十四段目は明らかに近頃積み増したものでした。
十三段目までの石段は金峰山周辺で採れる安山岩※で、専門家の話によりますと、島崎周辺の島崎石は青、白、赤とさまざまな色調をしており、松尾周辺の松尾石はアカイシと言われる赤系統の石、また高野辺田(独鈷山)は白系統ということです。それを聞いて、その目で見ると確かに金峰山周辺から運んできた石材であると判りました。
さて、第一回トレンチ調査の跡を見て驚きました。私は思わず「版築※だ」と心の中で叫びました。搗き固められた粘土の段々が姿を現したのです。素人の私には、そのまま石を載せても良いような損耗のかけらを感じさせないものでした。 その粘土層を保護する内部は木杭を打ち、土留柵を設け、粗朶を敷き、胴木(太い木材、丸太)を並べる堅牢な仕組みで、先人たちの優れた工法にはただただ驚くばかりでした。
※安山岩とは、南アメリカ大陸のアンデス山中の火山岩に付けられた名に由来する命名です。
※版築とは、粘土を杵でつき固める方法ですが、御蔵前の船着場は「版築ではない」ということでした。
川尻文化を考える会 代表 西 輝喜