2019年(令和元年)5月20日 「かわしり遍路」8

 

閻魔(えんま)様のお寺 法性(ほっしょうじ)

  

 肥後銀行川尻支店前のバス通りの信号交差点を西へ曲がると小さな橋があります。裏無田川に架かる高札橋(こうさつばし)(註1)です。この橋の南西一帯は、藩政時代に御本陣、町奉行所、御茶屋、御蔵(おくら)など重要な施設があった場所です。

 

 川尻小学校前を通り過ぎると白壁造りの民家が続き、この一帯は小路(しゅうじ)町と呼ばれ、今も往時の雰囲気を醸し出しています。自動車の離合に気を遣う狭い道をさらに南に進むと、無田川(川尻は幾つもの水路を活用して栄えた)に架かる小路橋に着きます。橋を渡るとすぐ左手にあるお寺が浄土宗の帰命山無量寿院法性寺(二十六世 芥川隆浄住職、川尻四丁目六-一)です。お寺の北側を流れる無田川沿いは、柳堀(やなぎぼり)といわれ、昔は賑やかな花街でした。

 

 法性寺については、肥後国史に「河尻小路町にあり、浄土宗の古刹なれども、開基年代は不明、多年退転に及ぶ処に、心蓮社信誉上人が再興す。はじめは、筑後善導寺の末寺たり」(註2)と記されています。そして、由来覚書によると「相良藩一行の御用宿や薩摩藩の御本陣止宿(註3)の折は、境内に出入りの門を設営した」等の記録が見られます。

 

 町史に記載の川尻十五寺の中で真宗(浄土宗を開いた法然上人の弟子で、後に独自の教えを展開した親鸞聖人を宗祖とする)のお寺が多いものの、法性寺は唯一の浄土宗です。お寺所蔵の九曜(くよう)の紋(細川家の家紋)入りの一対の花瓶、伝統建築の寺社や茶室等に見られる大きな扁額(へんがく)の「敬」の文字(細川六代重賢(しげかた)公の筆とされるが、額縁には五代綱利公の文字がある)が目を引きます。

 

 お寺の境内には、閻魔堂や観音堂、地蔵堂があり、閻魔堂には二体の閻魔大王(註4)が鎮座(ちんざ)しています。町内の方々は閻魔会を組織して、路(みち)あかりを灯し、八月十六日には、閻魔まつりを行っています。昔、露店が並び賑やかだったという閻魔まつりでは、地区の古老が集まった子供たちに「嘘をいうと閻魔様に舌を抜かれるぞ」、「悪いことをしたら閻魔さんに地獄へ送られるよ」と言い聞かせています。なお、川尻校区には閻魔堂が三か所あり、八幡六丁目(十一町内)の閻魔堂は、河尻城主が鬼門に当たる地に長寿寺に建立、閻魔大王を安置したもので、先の熊本地震で大きく被災しましたが、地区住民の善意で昨年再建されました。

 

 閻魔堂の前を通った時、学校の先生が「私の持っている通知表(評価簿)は、閻魔帳です」と言っていたことを思い出した。今の子供たちに「善いことも悪いこともびっしりと書いてある閻魔帳」の話をして上げたいものです。荒金 錬一

 

(註1)高札橋:藩政時代、「藩の重要な通達、お触れを掲示する高札」が建てられていたことに由来する。

 

(註2)開基:弘安二(1279)年説、天正七(1579)年説がある。

 

(註3)薩摩本陣:参勤交代のため、大名は一年交互に江戸と領地を往復した。この折、薩摩の島津公は川尻町小路の「御本陣」に泊まられた。

 

(註4)閻魔大王:本来は冥界を支配する神だが、仏教においては、地獄の王とされ、人間の生前の行為(善悪)を審判するとされる。

金太のつぶやき

私たちの暮らしの中で生命を吹き込まれ育まれてきた熊本の伝統工芸品。その伝統工芸品は、時代を超えて芸術性を増し、国境を越えて人々の心に優しさと安らぎを与えています。また、日本の四季が、「創造」と「感性」の豊かさを育み熊本の工芸品に彩りを持たせてきました。海路交通が盛んな時代、海の玄関口であった肥後(熊本)の川尻は、必然的に工芸が生まれる土地柄にあり、その伝統を今日まで継承している町です。川尻のまちづくりの観光スポット「くまもと工芸会館」では伝統工芸普及のために工芸逸品の展示販売と各種工芸教室を開催しています。皆様方の新鮮で創造豊かな感性を「くまもと工芸会館」でぜひ創作してください。