30号 2012年(平成24年)6月20日

 

伝統産業の町川尻の諸識

川尻桶    その二

材料

樽の材料は板目で、桶の材料は柾目である。昔は吉無田官山の八十年物の杉古木を使っていたが、材料の枯渇で和歌山産の「さわら」、木曽産の桧(ひのき)を購入した時もあった。しかし、それは一時的で矢部、人吉方面の製材所からの取り寄せが殆どとなった。材料の杉は八十年物、さわらは百年物でないと良い製品にはならないと言われていた。

 

製品

明治時代まで総ての桶類は木製であったが大正時代に入ると、普段取っ手の付いた木製の手桶で水汲みをしていたのが、ブリキや合成樹脂の軽いバケツに代わり始めたように木製品の需要は徐々に減り始めた。さらに昭和二十年の終戦を境に、急速に新素材を使った各種製品に移り始めた。

川尻で製作していた木製の桶やたごの用具を観てみると、海苔桶・肥たご・半切り(牛馬のはみ桶)・米櫃・飯櫃・湯たご(茶会用)・すし桶・湯桶・手桶・漬物桶など各種ある。たらいは「ちょうずだらい」(顔を洗う小さい物)・「下だらい」(おしめ洗い)・「大だらい」(洗濯、行水用)などの三種。現在はすし桶・湯桶・酒樽程度と減っている。

 

製作道具

昔は外ゼン(外側から削る)・内ゼン(内側から削る)・入れぎわ・前ぎわ(外側をえぐる)・だんぎり鋸(丸切り)・板削り(材料を割る)・正直(しょうじき)鉋(がんな)(正確に接着させる)・万力など沢山の道具を使っていた。現在は内鉋・外鉋・底回し鉋・金敷・錐などが主な道具である。

 

仕事納め

十二月三十一日、仕事場を片付け掃除をする。その後三方に白紙を敷き、二段重ねのお鏡餅にウラジロ・ツルノハを挟み、その上にダイダイ(橙)を載せる。前に串柿、おひねり(米)を置き、積み重ねた道具箱にお供えして「一年間ありがとうございました」とお礼をいい、来る年の福徳を祈る。

恵比寿さんを祀る神棚にも同じである。なお、元旦から三日まではお雑煮

も上げる。                 仕事初め

元旦の夜から二日の朝までに、研ぎ水入れの桶・お櫃などを親方の指示で作る。お櫃は普通一日に十個ほど作るが、この朝は六個で終わる。全員が作り終われば酒肴が出て、十日までの正月休みとなる。

 

恵比寿祭り

桶屋祭りとしては特別にはないが、桶屋は福の神、商売の神の「エベッサン」を信仰している。エベッサン祭りの十一月二十日は休業で、床の間に鳥帽子をかぶって鯛を釣り上げている恵比寿様の掛軸を掛け、鯛、お神酒、ミカン、柿などを供える。職人、徒弟には酒肴を馳走し、取引先の商店主を招待していた。

 

木製品の将来

昭和二十年代末より石油化学製品に押され、木製品は次第に寂れて行った。今は、徒弟はおろか製品の注文すら殆どない現状である。日用品の桶から楕円形や箱型の桧風呂製作を始めた家もあったが、強化プラッスチック浴槽の出現で注文はほとんどないという。

西 輝喜

2009年(平成21年)4月20日
~船の魅力その二~
幕府の大船への怖れは的中しました。関ヶ原の戦いから二百五十三年後の嘉永六年(一八五三)六月、ペリー提督に率いられたアメリカ東洋艦隊の黒い大船四隻が突如江戸湾に進入してきたのです。途方もない大きい黒船の到来に国中は騒然となり、幕府はその弱さを世間に露呈し、幕府崩壊への第一歩となりました。 この頃、志ある人々は「尊王攘夷だ、佐幕開港だ、公武合体だ」と国の行く末を論じ、さらにその主張を行動に移すなど国内は騒然たる雰囲気に包まれて行きました。 さて、土佐高知藩の郷士坂本竜馬は十八歳の嘉永六年(一八五三)、江戸に出て千葉道場で剣術の修行に励み、仲間と時節について研鑽を積んだ後、土佐に帰国して土佐勤王党に参加しました。翌年脱藩して再び江戸に出た坂本竜馬は赤坂の勝海州邸を訪ねます。血気に逸る竜馬は、成り行きでは勝を斬る覚悟でした。
その年、文久二年(一八六二)に幕府の軍艦奉行となっていた勝安房守は、そんな竜馬を見ると、ゆったりした表情に時折微笑を浮かべながら二年前、遣米使節の随行艦として、オランダから購入した咸臨丸という蒸気軍艦に乗り組み、太平洋を横断した時の「感動、そして知った世界の広さと文化」を語り、日本人が今急いでなすべきことは航海術の習得であり、これが海軍力の強化となり、日本の国益につながると「国防と国益を兼ねた開港論」を諄諄と説いた。〝目から鱗が落ちる〟とはこのことだろう。「攘夷」を叫ぶ己の視野の狭さが恥ずかしく、竜馬はその場で勝安房守に入門を乞いました。

金太のつぶやき

私たちの暮らしの中で生命を吹き込まれ育まれてきた熊本の伝統工芸品。その伝統工芸品は、時代を超えて芸術性を増し、国境を越えて人々の心に優しさと安らぎを与えています。また、日本の四季が、「創造」と「感性」の豊かさを育み熊本の工芸品に彩りを持たせてきました。海路交通が盛んな時代、海の玄関口であった肥後(熊本)の川尻は、必然的に工芸が生まれる土地柄にあり、その伝統を今日まで継承している町です。川尻のまちづくりの観光スポット「くまもと工芸会館」では伝統工芸普及のために工芸逸品の展示販売と各種工芸教室を開催しています。皆様方の新鮮で創造豊かな感性を「くまもと工芸会館」でぜひ創作してください。