28号 2012年(平成24年)2月20日

伝統産業の町川尻の諸識

鍛 冶   その二

柄作りは弟子だけの仕事ではない。子供や女が材料の皮を剥ぎ、後は全員暇をみては手分けして作った。鍬の柄は樫。鎌、包丁は松、椎などで富合、城南、宇土半島の山から取り寄せていた。

昔は「ろくろがな」がなかったので、短い柄の鎌や斧などで削り揃え、後は鉋で仕上げる。その切り屑や削り屑は、火床の火起しに使っていた。鍬の柄などは曲がって堅く工作に難渋していた。後ではその専門の店、鍬形屋が横町に開業したので、皆はその店へ注文をしていた。道具の鞴(ふいご)は大阪へ注文していたが、ピストンは狸の皮を指定していた。他の動物の皮では空気漏れが速いからでした。大正七(一九一八)年頃からモーターで風を送るようになった。鞴に代わって送風機が登場、砥石も動力で回すようになり刃物研ぎも簡単になった。終戦後の昭和二十一年頃ベルトハンマーが導入されると、特別品でない限り向こう槌(大槌)もいらなくなった。

鍛冶用具は鋏、小槌、大槌、金床、万力、ヤスリ、鞴、たがね、水桶、水床、砥石(荒砥、中砥、仕上げ砥)などである。

*釘景気

昔の釘材料は和鉄(砂鉄)で島根地方から購入していた。長さ約一尺五寸(四五、五センチ)、横幅三、四寸(一〇~一二センチ)、厚み二、三分(六~九ミリ)ほどの短冊形の鉄板です。この鉄板を切り割って釘を作るから、大変な手間がかかっていた。江戸末期から南蛮鉄が入手できるようになる。この鉄は線状になっており、一本一本切れば簡単に釘が作れた。このため釘専門の鍛冶屋は蔵を建てたとの話が残っている。明治以降は八幡製鉄所の鉄を購入するようになったが、これを洋釘と呼んでいた。

川尻刃物の特徴は硬い鋼を柔らかい軟鋼で挟み込む「割込鍛造」です。硬軟二種の鉄の塊が火床(ほど)の中で真っ赤に焼けると、鋏で金床に移し、大槌、小槌で交互に叩き不純物を除きながら、硬い鋼を軟鋼で鋏み形を作っていく。少し色が褪めたら、水床に浸して再び火床で焼く。形作りの作業を幾回となく繰り返し、最後は硬鋼の部分の刃先にヤスリをかけ、木製の柄を取り付けて完成する。一人一日の製作量は、鍬三本、鎌一二~三本、包丁六本程度だったという。

*鍛冶屋の風習

①本立寺境内の三十番神堂は 横町の人々が火災予防に島 原の護国寺から勧請した神 様で、毎日を交代で護る三 十二神が祀つられている。

②女性は横座(仕事場で親方 が座る場所)に近づいては ならない。(禁忌)

③大晦日は午前中で仕事を終 え、掃除、道具類を清め、  荒神様を祀る。そして、 火 を灯して一年間の無事を感 謝し、来る年の安全を祈願 する。家の門口や煙突には、 注連縄を張り歳神を迎える。

④一月二日は初仕事。朝二時 頃起きて荒神様を拝み、一 年間神棚に供える「かざり 剣」を作る。その後得意先 から頼まれた用具の製作に 取り掛かる。「初仕事で作っ た物は縁起がよい」と言っ て早朝から購入に訪れた客 を酒肴で接待する。仕事は 午前中で終え、弟子たちは 午後から里帰りして五日ま で休みとなる。

⑤十一月八日は仕事を休み「火 の神様祭り」をする。鞴祭 と呼ぶこの日は、夕方集ま る群集に親方、弟子たちが 屋根から魔払いの密柑投げ を行い、その後得意先を招 いての酒宴を催す習慣で あった。

西 輝喜

2009年(平成21年)4月20日
~船の魅力その二~
幕府の大船への怖れは的中しました。関ヶ原の戦いから二百五十三年後の嘉永六年(一八五三)六月、ペリー提督に率いられたアメリカ東洋艦隊の黒い大船四隻が突如江戸湾に進入してきたのです。途方もない大きい黒船の到来に国中は騒然となり、幕府はその弱さを世間に露呈し、幕府崩壊への第一歩となりました。 この頃、志ある人々は「尊王攘夷だ、佐幕開港だ、公武合体だ」と国の行く末を論じ、さらにその主張を行動に移すなど国内は騒然たる雰囲気に包まれて行きました。 さて、土佐高知藩の郷士坂本竜馬は十八歳の嘉永六年(一八五三)、江戸に出て千葉道場で剣術の修行に励み、仲間と時節について研鑽を積んだ後、土佐に帰国して土佐勤王党に参加しました。翌年脱藩して再び江戸に出た坂本竜馬は赤坂の勝海州邸を訪ねます。血気に逸る竜馬は、成り行きでは勝を斬る覚悟でした。
その年、文久二年(一八六二)に幕府の軍艦奉行となっていた勝安房守は、そんな竜馬を見ると、ゆったりした表情に時折微笑を浮かべながら二年前、遣米使節の随行艦として、オランダから購入した咸臨丸という蒸気軍艦に乗り組み、太平洋を横断した時の「感動、そして知った世界の広さと文化」を語り、日本人が今急いでなすべきことは航海術の習得であり、これが海軍力の強化となり、日本の国益につながると「国防と国益を兼ねた開港論」を諄諄と説いた。〝目から鱗が落ちる〟とはこのことだろう。「攘夷」を叫ぶ己の視野の狭さが恥ずかしく、竜馬はその場で勝安房守に入門を乞いました。

金太のつぶやき

私たちの暮らしの中で生命を吹き込まれ育まれてきた熊本の伝統工芸品。その伝統工芸品は、時代を超えて芸術性を増し、国境を越えて人々の心に優しさと安らぎを与えています。また、日本の四季が、「創造」と「感性」の豊かさを育み熊本の工芸品に彩りを持たせてきました。海路交通が盛んな時代、海の玄関口であった肥後(熊本)の川尻は、必然的に工芸が生まれる土地柄にあり、その伝統を今日まで継承している町です。川尻のまちづくりの観光スポット「くまもと工芸会館」では伝統工芸普及のために工芸逸品の展示販売と各種工芸教室を開催しています。皆様方の新鮮で創造豊かな感性を「くまもと工芸会館」でぜひ創作してください。