えびすの つぶやき

2009年(平成21年)3月20日
~船の魅力その一~

「天の鳥船(あまのとりぶね)」という古代語があります。海を往く船を天翔ける鳥に見立てたのでしょう。船は人間が造った水に浮かぶ道具にすぎませんが、古代人は天まで駆け上りそうな想像に駆られたのでしょう。まさに魅力です。 天正十六(一五八八)年、肥後の国に入国した加藤清正は、関ヶ原合戦(一六〇〇)の後に大型の貿易船を建造しました。この貿易船は長さが二十間(三十六メートル)、横五間(九メートル)、船の中には十六畳もの座敷があり、風呂まで用意してあったといいます。積載量は二百八十トンで豊臣秀吉の日本丸に匹敵する大型船でした。 この時代、ヨーロッパでは重商主義の発展期で、スペインやポルトガルがアジアに勢力を伸ばし、日本では秀吉の天下統一政権ができ、アジアでの外交関係が生じ、いわば明治維新後の黎明期に似た時代でした。
清正は京都の貿易商人を通じ、領内でとれた小麦を外国に売って、生糸や鉛、塩硝を買い、購入価格の倍ほどの値段で国内に売りさばいています。これが文禄、慶長の出陣、熊本城築城などの財源になったのは確かです。 慶長八(一六〇三)年、江戸幕府が開かれると清正は徳川家康から西洋、シャム・コウチ(ベトナム)への朱印状をもらい、自ら貿易に乗り出しました。 しかし、慶長十四(一六〇九)年、徳川幕府は五百石積以上の船は軍艦、荷船を問わず建造、所有を禁じました。もし禁じなければ西国の大名たちが、船を結集して江戸攻撃を企てたり、資金を蓄え軍備拡張に走ったりするのを恐れたのが、禁止した理由のようです。

川尻文化を考える会   代表 西 輝喜

金太のつぶやき

私たちの暮らしの中で生命を吹き込まれ育まれてきた熊本の伝統工芸品。その伝統工芸品は、時代を超えて芸術性を増し、国境を越えて人々の心に優しさと安らぎを与えています。また、日本の四季が、「創造」と「感性」の豊かさを育み熊本の工芸品に彩りを持たせてきました。海路交通が盛んな時代、海の玄関口であった肥後(熊本)の川尻は、必然的に工芸が生まれる土地柄にあり、その伝統を今日まで継承している町です。川尻のまちづくりの観光スポット「くまもと工芸会館」では伝統工芸普及のために工芸逸品の展示販売と各種工芸教室を開催しています。皆様方の新鮮で創造豊かな感性を「くまもと工芸会館」でぜひ創作してください。