えびすの つぶやき

2009年(平成21年)1月20日

~水の駅川舟考~

陸上交通を中心に考えれば、川は障害のひとつに過ぎないだろう。しかし、昔は全く違っていた。川は水路であり、自然が与えてくれた水の道であった。
明治初期の北海道開拓史を紐解けば一目瞭然である。人々は海から川を遡って物資を運び、次々に新天地を開拓していった。開拓したそれらの土地と土地が道路で繋がったのは、ずっと後のことである。
世界史的にみても、海の男たちがクジラを追って大海原を駆け巡ったことで、世界の七つの海がひとつに結ばれた。黒船による日本の開国は、そのひとつの結果に他ならない。
白川、緑川、加勢川の3つの河川は、かつて川尻で合流して九州を代表する大河となり、有明海へと注いでいた。先祖は海を伝い交易、また川を利用して上流域の人々と物資の交換を続けて町に繁栄をもたらした。上流域の人たちは、1日に幾艘もやって来る「物資を満載した平田舟」を心待ちにしながら、平田舟に親しみを持って「川尻舟」と呼んでいた。そして、この川尻舟は、いたる所にその痕跡を残している。小川が流れていた熊本市東部の健軍神社近くにもその言い伝えが残っている。さらに、川尻舟だけではなく遠く中国のジャンクの足跡さえ残っている。同じく熊本市東部を流れる秋津川の畔(秋津町)には、三官屋敷という地名がある。三官とは中国官吏の登竜門「科挙」に合格した人が、貿易の実務担当者として日本に派遣され、その仕事に従事していたことの名残である。
さて、世の中は陽があれば必ず陰がある。川尻の繁栄の陰には、水害の復興や水路の開拓などさまざまな住民たちの苦労があったであろう。それらの陰を乗り越えた「先人たちの労苦」を心に刻み「町全体がひとつ心で再生への道を歩み続けたい」と念じている老人のつぶやきが聞こえる。

川尻文化を考える会   代表 西 輝喜

金太のつぶやき

私たちの暮らしの中で生命を吹き込まれ育まれてきた熊本の伝統工芸品。その伝統工芸品は、時代を超えて芸術性を増し、国境を越えて人々の心に優しさと安らぎを与えています。また、日本の四季が、「創造」と「感性」の豊かさを育み熊本の工芸品に彩りを持たせてきました。海路交通が盛んな時代、海の玄関口であった肥後(熊本)の川尻は、必然的に工芸が生まれる土地柄にあり、その伝統を今日まで継承している町です。川尻のまちづくりの観光スポット「くまもと工芸会館」では伝統工芸普及のために工芸逸品の展示販売と各種工芸教室を開催しています。皆様方の新鮮で創造豊かな感性を「くまもと工芸会館」でぜひ創作してください。